【第62回】辛かった流産、その時心の支えになったもの | 夫婦でお金の勉強始めました

【第62回】辛かった流産、その時心の支えになったもの

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妊活の話

皆さん、こんにちは。ネムです。

今日はとても辛かった経験、流産についてお話ししたいと思います。

私が流産を経験したのは2021年4月のことでした。妊娠8週後半になった頃、稽留流産の可能性があると産婦人科の先生に言われました。 先生から流産に関する詳しい話などは特になく、また1週間後に来るように言われ帰宅しました。まだ望みはあるのか、今後どうなってしまうのか、とにかく不安で、 流産についてネットで調べまくりました。

流産について色々検索していた中で、当時私が一番よく見ていたのが、実際に流産を経験した方のブログ記事でした。色々な方の実体験を読ませて貰うことで、もう望みは薄いのだと分かり、それなら今後流産に備えてどうしたらよいのか、現実から逃げずに心の準備をすることが出来ました。実際に流産した後も、毎日のように流産について調べてブログ記事を読みながらながら一人泣くことで、何とか気持ちを静めていました。心の支えとはちょっと違うかもしれませんが、他の方の流産経験のブログが私を助けてくれたのは確かです。

「私の今回の経験も誰かのためになるかもしれない。」「私にとって初めての妊娠をずっと忘れないでいたい。」そういった想いから、流産の経験を記事にして残しておこうと思いました。もちろん流産についてはきちんと病院の先生に診てもらい、正しく判断してもらう必要があります。そのことを踏まえた上で、私の流産の経験を読んでいただけますと幸いです。

2021年の3月、妊娠6週後半に妊娠検査のため産婦人科へ行きました。検査の結果、無事妊娠していることが分かり、画面越しに胎嚢を確認することが出来ました。とっても幸せな気持ちで帰宅し、夫のケンと一緒に喜んだのを覚えています。

先生に指示された通り、1週間後の妊娠7週後半に再度産婦人科へ。胎嚢が前回よりも大きくなっており、また次週来るよう言われました。来週あたりには母子手帳を貰いに行けるだろうと、わくわくしながら毎日を過ごしていました。

さらに1週間後の妊娠8週後半、再度産婦人科へ。そこで初めて稽留流産の可能性があることを伝えられました。無知な私は帰宅してネットで調べるまで全く知らなかったのですが、一般的には妊娠6週辺りから心拍の確認が取れるようです。それまでの通院では一度も心拍についての話は無かったので、特に心配はないものとばかり思っていました。突然の流産という可能性に本当にショックで、呆然としてしまいました。涙が止まらず、ずっと俯き、マスクで顔を隠しながら帰りました。

帰宅してからもしばらく呆然とし、現実を受け入れられずにいました。その後色々ネットで検索していくうちに、8週後半で心拍の確認が取れないなんて、もう望みはないと悟りました。実は妊娠が分かった当初は食べ物の匂いに敏感になったり、胃がムカムカしたりと、いわゆる悪阻らしき症状が見られていたのですが、ある時気が付くとそういった症状は起きなくなっていました。悪阻が軽いタイプなのかも、それともこれからひどくなるのかもと楽観視しており、まさか自分が流産するだなんてと思ってもいませんでした。振り返ってみると、きっとあの頃に我が子の成長は止まってしまったのだろうと思います。

ほんの少しの可能性を捨てきれない気持ちもありましたが、流産の出血に備え、オムツや大量の生理用品を購入しました。

結局妊娠9週後半頃から、徐々に生理の終わりかけのような少量の出血が見られるようになっていきました。流産を経験された方の記事にも同じようなことが書かれていたのを見ていたので、ついに流産が確定してしまったのだと思いました。少量の出血は1週間ほど続きましたが、その間それ以外の症状は特に何もありませんでした。

妊娠10週後半頃から生理のようなしっかりとした出血が始まり、いつもの生理痛のような腹部の痛みが始まりました。その後段々と出血量が増えていき、ある日の明け方、物凄い量の出血がありました。ドバっとそれまでに経験したことないような出血と固形物の排出が3~4時間続きました。痛みは通常の生理痛よりひどかったとは思いますが、耐えられないという程ではありませんでした。私はたまたま仕事がお休みの日だったので本当に良かったですが、もし万が一仕事中にあの量の出血に見舞われていたら大変なことになっていたと思います。あとオムツを買っておいたのも正解でした。例え自宅に居たとしても、あの出血の量は通常の生理用品では耐えられなかったでしょう。

その後の数日間は、ピークを過ぎた生理ぐらいの出血が続いていました。この時激しい痛みではなかったものの常に腹部に痛みがありました。しかも歩くとその振動がお腹に響き、意外とこの期間がかなりしんどかったです。しかもまた大量に出血したらと不安だった私は、数日オムツを履いて仕事へ行っていました、、。まだ肌寒い時期だったのでオムツの上からタイツを履き、何とか目立たないよう抑えつけてました。

その後一度だけ、突然それまでに経験したことがないような激しい腹痛に襲われ、立っていられないくらいでした。ただそれは短時間で納まり、その後徐々に出血や腹痛は納まっていきました。個人差があると思いますが、最初に出血が見られてからここまで、2週間半位だったと思います。

その後、再度産婦人科へ行きました。通常の生理以上の出血があったことを事前に受付でお伝えしました。先生に診てもらい、流産でほぼ全て出きっているのでおそらく手術の必要はないと言われました。最初の診察で画面越しに見せてもらった胎嚢の姿はそこにはなく、もう私のお腹の中はからっぽになってしまったのだなと実感しました。

また1か月ほどすると生理がくるので、2周期分の生理を見送ってから妊活を再開するよう言われました。もしこのまま生理がこない場合は、再度病院へ来るように言われました。先生の診察を終えて料金支払いまで待合室で待っていると、目の前のロビーで無事出産を終えて記念写真を撮る家族がいました。この時の複雑な感情は一生忘れないと思います。

その後私は特に問題なく、ほぼ予定通りに生理がやってきました。このまま生理周期が乱れてしまったらと不安だったので、ひとまず安心しました。ただ流産後の最初の生理は、通常の生理よりも出血量がかなり多かったです。この時も流産に備えて購入してまだ余っていたオムツを使用しました。通常の生理用品ではちょっと心もとなかったので、オムツを履くことで安心感がありました。流産した場合はオムツ必須と言っても過言ではないと思います。

以上が、私の流産経験になります。お仕事は1日休んでしまいましたが、たまたま出血のピークが休日と重なったのがせめてもの救いでした。あの状態で働くのはもちろん、外出するのは体力的にも精神的にも厳しかったと思います。また手術の必要もなかったので、会社には流産のことを誰にも伝える必要もなく乗り切ることが出来ました。出血ピークを過ぎた体調不良時は頑張って出勤していたのですが、私の様子をみた会社の人からは「もしかして妊娠?」と聞かれ、これまた複雑な気持ちになりました。もし万が一でも流産と何かの拍子にばれてしまったら、お互い相当気まずいと思ったので、それこそ体調を心配してもらっても誰にも流産のことは話さずにいました。

一般的に妊娠したうちの約15%は流産、また妊娠12週までの流産は遺伝子的な問題であり、母体のせいではないと言われています。 病院でも同じようなことを説明されました。 しかしそうは言われても、じゃあ仕方ないよねとすぐに切り替えなんて出来ませんし、何の慰めにもなりません。 とにかく身体的にも精神的にも辛かった流産でしたが、同じように流産を経験した方のブログによって色々と心の準備が出来ましたし、現実を受け止めることが出来ました。考え方や感じ方は人それぞれですが、もし同じように流産で苦しい思いをしている方がいれば、今回の私の記事が何らかの助けになりますと幸いです。あと、オムツは絶対あった方が安心ですよ!

これからは前向きに妊活に取り組んでいきたいと思います。

以上、ネムでした。

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